A SIX-MONTH RECORD AT SEVENTY-ONE
いい年をして、鍛える。
七十一歳。半年だけ、本気でやった。
年齢だけで、「高齢者」と一括りにされる。それが、私は面白くなかった。しばらく前までは、それなりにスポーツをし、身体も動かしていた。その感覚は今も残っている。だから、今からでもできると思っていた。けれど、感覚だけでは裏付けにならない。頭の中の自分と、実際の身体との溝を埋めるため、半年だけ本気で鍛えてみることにした。

感覚と現実のあいだ
自分はまだ動ける。
そう思うだけでは、足りなかった。
身体を動かす感覚は、思っているより長く残る。
私もしばらく前までは、それなりにスポーツをし、身体を動かしていた。以前できた動きも、汗をかいたあとの気持ちよさも覚えている。
だから、やればまだできる。今からでも遅くない。ずっと、そう思っていた。
けれど、思ったように動けない場面が少しずつ増え、その自信が昔の感覚に支えられているだけだと思い知ることも増えた。
頭の中にいる自分と、実際の自分。その間にできた溝を、埋める必要があった。
私には、裏付けが必要だった。
まだ取り戻せることを、
自分自身に証明したかった。
そのきっかけは、思いがけない場所にあった。
01 / きっかけ
鏡は、今の身体を、
言葉より正直に映した。
日帰り温泉の脱衣所に、大きな鏡があった。
家の鏡で見るのは、たいてい顔くらいだ。髪を整え、ひげを剃り、見慣れた自分を確かめて一日を始める。
けれど、脱衣所の鏡には全身が映った。
そこにいたのは、頭の中で思っていた自分とは少し違う男だった。背中は丸く、身体には締まりがない。上半身と下半身の釣り合いも崩れて見えた。
誰かに笑われたわけではない。何かを言われたわけでもない。
鏡は、知らなかった自分を見せたのではない。以前から感じ始めていた、身体の感覚と現実との溝を、目に見える形で映したのだと思う。
「今からでもできる」と思いながら、始めるきっかけがないまま過ぎていた時間は、そこで終わった。
見た目だけを変えたかったのではない。
自分が思っている自分に、身体を追いつかせたかった。
02 / 欲しかったもの
姿勢にも、動きにも、
筋力の裏付けがいる。
身体能力は、特別な場面だけに現れるものではないと思う。
背筋を伸ばして立つ。大きく足を踏み出して歩く。何かを始めようと思った時に、身体のほうから先に「もう無理だ」と言われない。
気持ちの張りは、立ち居振る舞いににじむ。けれど、その姿勢や動きを保つには、気持ちだけでなく筋力の裏付けがいる。
若い人のようなマッチョになりたいわけではなかった。きれいに割れた腹筋もいらない。欲しかったのは、これから何かに挑戦する時の土台だった。
私には、もう一つ、とても具体的な目標があった。
飲み屋のカウンターで、何時間でも背筋を伸ばして座っていられる。
外観は目的ではない。身体の土台を取り戻した結果として、あとから変わればそれでよかった。
03 / 年齢との距離
年齢に合わせて、
目標まで小さくしたくなかった。
六十代、七十代の運動を探すと、ペットボトルを持った体操や、椅子に座ったままできる運動がよく出てくる。
それが必要な人もいる。安全に身体を動かす入口として、役に立つ場面があることも分かっている。
私が引っかかったのは、運動の内容ではない。年齢だけを理由に、自分も初めからその対象として扱われることだった。
同じ年齢でも、身体の状態も、経験も、目指すところも違う。それを一つにまとめてしまうのは、少し乱暴ではないかと思った。
だからといって、若い頃と同じつもりで無理をしたかったわけではない。
目標を年齢に合わせて小さくするのではなく、
そこへ向かう方法を、今の身体に合わせればいい。
04 / 半年という期限
一生ではなく、
半年だけ。
筋トレには、終わりがないように見える。
毎週何日も鍛え、食べたいものを我慢し、それを何年も続ける。そんな生活を想像したら、始める前から気が重くなる。
だから私は、最初から期限を設けていた。
二〇二五年二月十九日から二十一日まで、私は三日間の絶食をした。それをきっかけに食べ方を変え、三月から筋トレへ本気で取り組み始めた。
絶食を勧めたいわけではない。これは、私がどんな順番で始めたのか、ありのままを記した記録である。
たんぱく質を意識し、糖質を抑えた。卵や鶏胸肉、プロテインも使った。それでも、トレーニング後のチョコレートや、小さな饅頭までは捨てなかった。
全部を完璧にするより、明日も続けられる余白を残したかった。
本気でやる期間に、終わりを作った。
それが、私には合っていた。
05 / 自分だけの場所
納戸の扉の向こうに、
小さなジムを作った。
使っていない納戸に、インクラインベンチとダンベルを置いた。
広くはない。人に見せるようなホームジムでもない。けれど、扉を開ければ、そこに戻る場所がある。
やる気は、いつも待っていてくれるわけではない。それでも、着替えて出かける必要がなければ、やらない理由は一つ減る。
納戸ジムは、休館しない
世の中でコロナやインフルエンザが流行っても、納戸に「休館のお知らせ」は貼られない。
器具を使うのは私だけ。ついているのも、自分の汗だけだ。使った時間が重なるほど、ただの鉄の塊だったダンベルに愛着が湧いた。
最初は週三回。水曜日は背中、金曜日は胸と肩、日曜日は脚。一回二十分から四十分ほどだった。
ダンベルプレスは片手十五キロから始め、やがて二十五キロを扱うようになった。それで十分だった。私が欲しかったのは、重さを競うことではなく、自分の姿勢と動きを支える力だったからだ。

06 / 積み重ねは、外観にも現れた
ほぼ同じ体重なのに、
立っている男は違って見えた。
体重は一度、大きく減った。その後、少しずつ戻った。
二〇二五年四月二十三日は六十五・三キロ。十一月二十日は六十四・八キロ。その差は、わずか〇・五キロである。
けれど、写真を並べると、私には違って見えた。
肩から胸へ続く線。腹まわり。立った時の姿勢。体重計の数字には出ないところが変わっていた。
脂肪が筋肉に置き換わったように感じた。
医学的な測定結果ではない。同じくらいの体重だった二枚の写真を見た、本人の実感である。
腹筋は少し見える程度。マッチョでもない。けれど、身体を取り戻そうとして積み重ねたことは、シルエットにも現れていた。
外観は目的ではなかった。それでも、目に見える変化は、自分にとって一つの確かな裏付けになった。
私には、それで十分だった。

65.3kg / 21.9%

59.7kg / 18.9%

64.8kg / 20.6%
07 / 半年の、その先
全力疾走は、
ずっと続けなくていい。
集中していた時期には、短いトレーニングを週五日に分けたこともある。
けれど、週五日を何年も続けるつもりはなかった。生活のすべてを筋トレに差し出したかったわけではない。
欲しかったところまで来たら、力を抜いてもいい。回数を減らしてもいい。流すように続ける日があってもいい。
食べ方も変えた。たんぱく質は保ったまま、脂質を減らし、白米を戻した。朝に一杯、昼に塩にぎりを一つ、夜に軽く一杯。食事の満足感は、ずいぶん上がった。
糖質を我慢していた頃に比べれば、それはもう「制限」という感じではなかった。
筋トレは、終わりのない苦闘ではない。
自分が納得できたら、その先の速さは自分で決めていい。
08 / 七十二歳の、いま
やめた。
そして、また始めた。
ここまで書くと、私はその後も順調に鍛え続けたように見えるかもしれない。
そうではない。
二〇二六年二月頃、腰痛と家庭菜園が重なり、私は長く筋トレから離れた。体重はおよそ六キロ増え、筋肉も落ちたと感じた。
納戸ジムは休館していない。休んでいたのは、私のほうだった。
今、私は七十二歳になった。そして、もう一度、納戸の扉を開けた。
体は前と同じではない。けれど、二度目は何も知らないところからではない。
自分に合わなかった種目も、必要だった休憩も、生活へ置きやすい曜日も知っている。一度目に覚えたことまで、休んだ時間に消えたわけではなかった。
続けるとは、一度もやめないことではなかった。
私にとって続けるとは、何度でも始めることだった。
一人の男の、半年間。
いい年をして、
鍛える。
七十一歳。半年だけ、本気でやった。
ここまで書いたのは、半年間の大きな流れである。
身体が変わったという結果だけなら、数枚の写真で足りる。
けれど、本当に誰かの役に立つかもしれないのは、その間に迷ったこと、変えたこと、やめたことだと思った。
何キロから始めたのか。どんな種目を組んだのか。食べ方をどう変えたのか。写真を見て、何を考えたのか。そして、長く休んだあとに、なぜもう一度始められたのか。
それを、写真と数字と、その時々の気持ちと一緒に一冊へまとめた。
最後には、この記録を自分の身体と生活へ置き換えるための設計表と記録用紙も加えた。
これは、理論だけを並べた教科書ではない。七十一歳の一人の男が、自分の身体に半年間、本気で手をかけ、結果を見ながらやり方を変えていった実体験の記録である。
一冊に残したこと
- 温泉の鏡で現在地を知り、身体を作り直そうと思うまで
- 「高齢者向け」の運動に感じた違和感
- 「半年だけ」と期限を決めた理由
- 納戸で始めた週三回と、集中期の週五回
- 片手十五キロから二十五キロまでの変化
- 糖質を抑え、やがて白米を戻すまでの食事
- ほぼ同じ体重でも違って見えた写真記録
- 腰痛と中断、約六キロの増加からの再開
- 自分の半年を考える設計表と記録用紙
こんな気持ちに、覚えがある人へ
- 年齢だけで、自分の目標まで決められたくない
- 昔はジムやスポーツを経験し、体を動かす感覚を知っている
- 気持ちだけではなく、まだ動けるという裏付けが欲しい
- 見せる筋肉ではなく、姿勢と動きを支える力を取り戻したい
- 一生は難しくても、半年なら本気になれるかもしれない
私が渡せるのは、答えではなく、実例です。
この本は、半年で誰もが同じ体になると約束するものではない。三日間の絶食や、私と同じ重量を勧める本でもない。
ただ、年齢だけで自分を決めたくなかった一人の男が、どこから始め、何を変え、どこまで行けたのか。その道筋は、これから始める人の判断材料になると思っている。
商品情報
6,980円 税込
- 商品名
- いい年をして、鍛える。
- 著者
- flying60s(実体験記録)
- 内容
- PDF教材・全50ページ(2026年10月版)
- 閲覧環境
- スマートフォン・PC・タブレット
- 提供方法
- 決済完了後、14日以内にインフォトップ購入者マイページよりダウンロード
- 決済方法
- クレジットカード/銀行振込/コンビニ決済/BitCash(決済方法により手数料がかかる場合があります)
- 個別サポート
- 個別のトレーニング・食事指導は含まれません。商品データの不備やダウンロード不能には確認のうえ対応します。
- 返品・返金
- デジタル商品の性質上、原則として返品・返金には応じていません。
半年だけなら、
やってみようか。
そう思った時に、そばへ置いてほしい記録です。
決済はインフォトップのページで行います。本書は個人の実体験をまとめた記録で、同じ成果を保証するものではありません。また、医療行為・治療・診断を目的とするものでもありません。治療中の病気や服薬、胸の痛み、めまい、普段と違う息切れ、運動で悪化する関節の問題がある場合は、始める前に医師などへ確認してください。